​和彫/Japanese Tattoo

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わたしは白洲正子著書の「日本の匠」を読み、以前から和彫に興味を持っていた。それは、菩薩や龍が背中に宿るデザインで、初めて実際に和彫を見たとき、その緻密さと色鮮やかさに、まるで人が衣類を身につけているかのように見え、ハッとさせられたからだ。

入れ墨の歴史は深く、「古事記」(712年)と「日本書紀」(720年)に、辺境の民の習慣として記載されている。奄美大島から琉球諸島にかけて、女性が既婚者であると示す「ハチジ」と呼ばれる入れ墨の習慣があり、北方のアイヌ民族の女性は唇の周辺や手に入れ墨をして身を飾っていた。このように入れ墨は日本各地で行われていた。しかし、時代と共に日本人の美意識は衣類や香りに向けられ、入れ墨についての文献や資料は17世紀初期まで途絶えてしまう。

戦国時代を経て、社会が安定した江戸時代になると、入れ墨の歴史は動き出した。火消しや駕籠かきの間で地肌をさらすことは恥ずかしいと考えられ、服を着ているような「和彫」のデザインが生まれた。そのスタイルが他国に知れ渡ったのは、開国後。日本に訪れた欧米の旅行客が和彫を珍しく思い、それぞれが母国に持ち帰ったことが事の始まりだそう。明治初期には土産として和彫を入れる人が増え、英国上流階級の間でも流行した。しかし文明開化の後、欧米人の目を気にした政府が入れ墨を野蛮なものとみなし、1905年に警察反処罰令を施行。しかし、日本国憲法が公布された翌年の1948年に時代にそぐわないとして廃止される。それは、GHQ高官達が墨を入れており、日本に対しても理解があったからともいわれている。

2015年には、医師免許を持たずに墨を施すことが医療法違反になるとして、ある大阪の彫り師が罪に問われた。しかし、「墨には美術的な意義があり、医療ではない」と言う意見が勝ち2020年に無罪判決を獲得。このように、時代が流れながらも文化が絶えなかったのは、技術の高さとその芸術性を称賛した愛好家が多くいたからだ。

今回、Vol2のインタビューを「和彫」と決めた私は、図柄の変化に焦点をあてた。彫は歴史あるものだから、衣類と同様に、流行の変化があるはずだ。

そこで、文献や資料、ウェブで検索したところ、個性的な一匹の虎の図柄を見つけ、惹かれた和を感じるが洋彫らしさもある、これまで見た事のないデザインだったからだ。そこでどうにかコンタクトを取り、お話を伺えることに。今回はその彫り師である「彫みつ」こと、成田広光さんのデザインアイディア、ご自身の背景などをたっぷりと紹介する。

*注

本記事では、「和彫」を手法が手彫りの和風な図柄。「洋彫」をマシーンを使った洋風な図柄、「入れ墨」、「墨」を和彫と洋彫を含むすべて、とする。

<<interview>>

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Tattoo artist Horimitsu
初代彫みつ:成田広光 /Hiromitsu Narita

​和彫との出会い

​80年代の日本では、主にバイカーやパンク系の若者の間でタトゥーが流行りだした。

彫り師のSABADO氏が雑誌で取り上げられるなど、タトゥーがファッションとして一気に広まった時代である。

そんな時に、彫みつさんはカナダで技術を学んだ友人と洋彫のタトゥースタジオを初める誘いをうけた。場所は池袋に決めたがのだが、オープン直後、見ず知らずの人からクレームの電話がかかってくるなど、営業の妨げになるようなことが度々あった。そこで昔から同じ地域でお店を営んでいる、彫の界隈で既に名前が知られていた、彫俊氏の元には事前に挨拶がてら相談に行くことに。それが人生の転機となったのだ。

彫俊氏は彫みつさんに和彫の図案や手彫りのやり方を丁寧に教えてくれた。彼は店を訪れるたびに、彫俊氏の人柄や技術に惹かれ、ここで和彫を学びたいと思うようになっていった。

そこで意を決して友人と別れ、池袋彫俊一門へ入門。そこから約10年の修行期間を経て独立。「まずは10年」というのが一門の決まりだそうだ。今は、SNSを通じていろんな技術を学べる時代。師弟関係なく独立する人が増えているが、偉大な師からの教えはいつの時代も大きい。

 

「技術的な事ももちろん学びますが、仕事の進め方、資料の収集先など、そういったことを覚えることも大切ですね」

 

彫みつさんは師を親父と呼ぶ。その言葉の距離感から、いかに彼を慕っているかが解る。

補足すると、彫俊氏は、和彫を海外に広めた第一人者。それが影響し、同時期に門下にいた彫り師達の中にはベルギーやNYなど海外に活動の場を移した者もいる。和彫を学びながらも世界中の優れたアーティストと出会えることは門下生にとっても貴重な体験であった。

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​和彫の特徴

わたしは伝統的な和彫のイメージに、「額彫り」のみを持っていたが、和彫の図案には「抜き彫り」もある。「額彫り」はメインとなる動物、花、仏像などの背景に化粧彫りといわれる波、雲、炎などが施される。刺青と入れ墨の入ってない境目を「見切り」と呼び、「額彫り」は「見切り」があるところまでをデザインする。それにより、見る人に衣類を身につけているような印象をもたらす。「額」は海外のトライバルタトゥーやオールドスクールタトゥーには見られない和彫特有のデザイン。それに対して「抜き彫り」はメインの図柄を単体で彫る。これは洋彫りにもよくあるデザインだ。

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新しいものと伝統的なもの

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そんな伝統的な和彫を習得された彫みつさんだが、彼の和彫のひとつである「horimitsu1000tiger club」の虎達はスケートボードに乗ってたり、ラーメンを美味しそうにすすったり、とどことなく肩の力が抜けていて可愛い。どの虎も「抜き彫り」で彫られており、額がないので、洋彫のような印象もある。黄色と白色のインクの発色のよさが特徴的だ。

 

ぜひ一度、Instagramを覗いてみて欲しい。

@horimitsu

 

「horimitsu 1000tiger club」の作品はどれも一見、シンプルだが、長年の修行を得たからこそ為せるもの。

 

「黄と白とは、色が抜けやすいんですよ。でも私の虎は何十年経っても綺麗です」

 

手彫りだからこそ、しっかりと皮膚に色がのる。マシーンだとこの2つは持ちが難しく、数年経つと飛んでしまうそうだ。

シンプルで個性的な図柄はまるでステッカーのよう。わたしが今まで持っていた和彫のイメージとは全く異なった。

「伝統的な和彫を希望するお客さんも沢山いらっしゃいますよ」

 

もちろん、彫みつさんの伝統的な図柄が素晴らしいことも彼の人気の理由のひとつ。波の化粧彫の中に浮き上がるように咲く牡丹の縁は白色で、内になるにつれて色が入る。白と、青、赤、黄のコントラストがとても美しい。ほかにも暴れる鯉にまたがる金太郎は全人真っ赤で色使いが大胆だ。

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ここ30年で和彫の流行りは3回ほどあったそうだ、幾度とブームが去ってしまうのは、最終的に反社のイメージの強さが勝ってしまうからだという。冒頭でも触れた警察反処罰令や医師方違反の裁判は、その動きのひとつだ。しかし、海外では和彫に偏見がないのでデザインや技術も日本よりかなり進んでいる。その流れを肌で感じるためにも、彫みつさんは積極的に海外のコンべンションに参加したり、友人のスタジオに何日間か滞在して活動をする。伝統を守ることも重要だが、新しいマシーンやインク、流行りのデザインを勉強することも、同様に大切だと話してくれた。世界各国の友人達と情報交換をするにつれ、ビジネスに対する考え方や活動の場が広がり、カラダに彫るだけではなく、アーティストのツアーTシャツや絨毯のグラフィック提供もするようになった。

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マシーンが主流の中、手彫りの技術を持ち、流行りの図案や同義の情報にも敏感な彫みつさんは、まわりの彫師にとってもお客さんにとっても、信頼できる存在だ。伝統的な和彫も今の流れを捉えた和彫も、池袋に行けば彫ってもらえる。彫を愛する者にとって、なんと贅沢な環境なんだろう、と思った。

​Honey Tattoo Horimitsu

〒170-0014

東京都豊島区池袋1丁目16−36 西山ビル102

TEL)03−3968−6671

horimitsubooking@gmail.com

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